大正期の洋館、ギャラリーに 高砂の古民家カフェ敷地内
古民家カフェ「季(とき)のしずく」(兵庫県高砂市高砂町鍛冶屋町)の敷地内で、大正時代の洋館が装いを新たにし、7月からギャラリーとしてオープンした。外観、内装いずれもかつての姿とほとんど変わらず、レトロな雰囲気を楽しめる。習い事の教室や会議室として利用できる部屋もある。(小森有喜)
オーナーは2年前からカフェを営む増田富美(ふみ)さん。1926(大正15)年ごろに建てられた日本家屋と洋館を4年前に購入し、改装を進めていた。日本家屋1階の工事終了後にカフェを始めていたが、それ以外の部分もようやく完了。洋館の延べ床面積は約36平方メートルで、1階はギャラリー、2階はレンタルスペースとして貸し出す。日本家屋2階の和室も使える。
かつてはダンスホールとして使われていたという洋館。改装前、天井には穴が開き、窓枠も外れかかるなど老朽化が進んでいたという。「せっかくの貴重な建物だから」と取り壊さず活用することを決め、壁や柱の補強、段差をなくすため床を上げた以外はほとんど意匠を受け継いだ。天井のレリーフ(浮き彫り)や窓枠のデザイン、柱や窓枠に使われる木材の赤茶色も大正時代と同じだ。
カフェには、播磨地域ゆかりの大正時代の画家土屋嶺雪(れいせつ)が手掛けたふすま絵などがあり、芸術に関心が高い客も訪れる。増田さんは「多くの人に作品を飾ってもらい、高砂の文化活動を盛り上げたい」と話す。
柱細いのは戦後の建築基準法〜改定直近前なイメージ
自由な面では大正時代じゃないかな?
自由なのは金持ちだけ。
庶民は有るはずもなない罪で捕らえられ、
獄中死。
野党の政治家(犬養、鳩山等)が、本人らは軍国主義者でも拡大主義者でもないのに
全くの政争の具として政府の進めようとしていた軍縮を
「統帥権の干犯(軍権は政府ではなく天皇に属す)」と批判
法学者もそれを支持して戦前の民主政治は終わることになった
こういう雰囲気すきだわ
男も女も、もっと普段から和装きれるようになればいいのに
別に今でも駄目なわけじゃないけどさ
鬼滅やハイカラさんの世界だね
阪妻や栗島すみ子ののぼりは映画の宣伝だな。
この頃には日活も松竹も既にあった。
街歩くだけで楽しそう
かっちょいい
アメリカだとこれが普通に自動車走ってんだよな
国力違いすぎ
いいなあ路面電車のある風景
道が広いな
後人がごみごみしてないのもいい
これ大正?
カメラ屋あるやんか、十分生きられそうだ。
ニョキニョキ立てられた電柱が勢いを感じさせるな。
>>38
今でも作ってるところはあるから、着ても良いんだぜ。
カッコいいのに
秀吉の時代ならもっと不便だった。夏になってもかき氷食えたのは殿様だけ。
どれだけ暑くてもクーラーがない。冷蔵庫がないから新鮮な食べ物も食えなかった。
ちょっと虫歯になっても治療なんかできず、無理矢理引き抜くだけ。死ぬほど恐怖だった。
やたらドヤりながらレスしてるけど、それを言ったら縄文時代はもっと不便だったと思うぞ
昔に戻って生活したいとかあり得ない
大正時代は100年ほど前か
これからの100年で漸進的に世界が発展したら
今の時代は家畜に見えるからもしれないよ
後ろにもワンピの女の子がおる
キャンディーズみたいだな
https://youtu.be/MQAmZ_kR8S8
高画質スゲー
コカコーラですら大正時代の日本に入ってきてた
都市部のごく限られたモダンな雰囲気だけで大正時代のイメージって作られてるよな。
昭和というか平成の初め頃でも東北やら北関東では出稼ぎや季節労働者なんてなんて当たり前だった
地方が完全に貧困から脱したのなんてむしろここ30年か40年くらいの話だよ
紅緒です。
現代人の大正イメージ作った大きな要因だな
普通に娘は売られたしね
社会はそれが現実と受けてめてたし娘を売ることも親の権利と親が思ってた
親族は抵抗する娘を「親孝行しなさい」と叱りつけてた
自分は売られた事なんてない癖にね
それ以外はいまと大差なかったんだよな
それ、明治・大正生まれの人間が生きてた頃は当たり前の認識だったんだけど、
だんだんと戦前は丸ごと暗黒時代であるかのように洗脳が進んでいってる
日本が暗黒世界の最低な酷い国で、アメリカが正したという設定じゃなきゃ困る人達がいるからね
>>113
そりゃアメリカにぼろぼろにされたんだし、復旧にそんなオサレな建物作る余裕ないだろ
機能性重視になるわ
大政翼賛会まではちゃんと政党政治やってたしな
朝日新聞が財閥や資本家の意を受けてか中流以下の国民を煽って田舎出の若い下士官にクーデター起こさせた頃からおかしくなっていった
明治元年(1867)〜国家総動員法(1938)までは自由だったよ
何で無機質な小汚い鉄筋コンクリートビルだらけになっちまったんだろなあ?
大正末期昭和初期の繁華街の映像見ると男女ともオシャレな人多いよね
もちろん繁華街はまた例外かもしれないけど
イメージより豊かな時代だった
藤田謙一氏別邸だね。
青森には盛美館とか弘前図書館とか佐瀧本店とか良い建物が残ってる。
教会も良いのが有るね。
下は入江たか子・瀧の白糸って読めるので
昭和8年頃だな
阪妻の燃える富士もそのころだな
一緒にかかってたんだな
富裕層になればなるほど変わらないからな
アッパークラスのライフスタイルってだいたい10〜20年で下々まで行き渡る
途中戦争で生活水準後退したが
それ知ったらやっぱり現代の方がかなり快適だと思うはず
そりゃ、現代の方が進化してなくちゃおかしいに決まっている
しかし戦前は暗黒時代みたいな洗脳されていたが
案外と豊かで現代の庶民文化の基礎がこの時期出来たという趣旨だな
高価とはいえオゾン発生器とか個人向けにあったのか
オゾン呼吸器に入れるとか正気の沙汰じゃないが、ほんとにオゾン出てたんかな
大正はその間にあった束の間の豊かな
時代だったのではと思う
一瞬で終焉してしまったけど
日本人が日本人そのものに誇りの自信があった時代ね
戦後日本でいう1980年代後半って感じだね